第 57 回目は《 大師詣り/entry50 》の続きです。
【 日本文学全集 徳田秋声集 】
著 者/徳田 秋声氏
あらくれ
八
お島は養父がいつまでも内に入ってこようともしず、入ってきても、飯がすむとすぐ帳簿調べに取りかかったりして、無口でいるのを自分のことのように気味悪くも思った。お島はいつもするように、「 肩をもみましょうか 」と言って、養父の手のすいた時に、後へ廻って、養母に代って機嫌を取るようにした。お島は九つ十の時分から、養父の肩を揉ませられるのが週間になっていた。
おとらはひと休みしてから、晴着の始末などをすると、そっちこっち戸締りをしたり、一日取りちらかったそこらを疳性( かんしょう/ 1 )らしく取り片づけたりしていたが、そのうちに夫婦の間にぼつぼつ話がはじまって、今日行ったお茶屋の噂なども出た。そのお茶屋を養父も昔から知っていた。
ここから三四里もあるある町の農家で同じ製紙業者の娘であったおとらは、その父親が若いおりに東京で懇意( こんい / 2)になったある女に産まれた子供であったので、東京にも知り合いが多く、都会のことはよく知っているが、今の良人( おっと/ 3 )が取引上のことで、ちょくちょくそこへ出入しているうちに、いつか親しい間( なか )になったのだということは、お島もおとらから聞かされて知っていた。そのころ瘦世帯( やせじょたい/ 4 )を張っていた養父は、それまで義理の母親に育てられて、不仕合せがちであったおとらといっしょになってから、二人で心を合わせて一生懸命に稼いだ。その苦労をおとらはよくお島に言い聞かせたが、身上ができてからのこの二三年のおとらの心持には、いくらか弛( たる )みができてきていた。世間の快楽については、何もしらぬらしい養父から、少しずつ心が離れて、長いあいだの圧迫の反動が、彼女をともすると放肆( ほうし/ 5 )な生活に誘( おび )きだそうとしていた。
お島は長いあいだ養父母の体を揉んでから、やっと寝床につくことができたが、お茶屋の奥の間での、刺戟( しげき )の強い今日の男女( ふたり )の光景を思い浮かべつつ、じきに健やかな眠りに陥ちてしまった。蛙の声がうとうとと疲れた耳に聞こえて、発育盛りの手足が懈( だる )く熱( ほて )っていた。
翌朝も養父母は、何のこともなげな様子で働いていた。
お花を連れだすときも、男女の遊び場所はやっぱり同じお茶屋であったが、お島はお花といっしょに、浅草へ遊びにやってもらったりした。お島はお花と俥( くるま )で上野の方から浅草へ出ていった。そして観音さまへお詣りをしたり、花屋敷へ入ったりして、晷( とき )を消した。二人は手を引きあって人込みのなかを歩いていたが、やっぱり心が落ち着かなかった。
おとらは時とすると、若い青柳の細君をつれだして、東京へ遊びに行くこともあったが、内気らしい細君は、誘わるるままに素直についていった。おとらは住返りには青柳の家へ寄って、姉か何ぞのように挙動( ふるま )っていたが、細君は心の侮辱を面にも現わさず、もの静かに待遇( あしら )っていた。
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おとらさんは青柳さんのことを気に入っていたのでしょうけど、奥さんも連れ出して出かけますし、日頃の生活から気分転換したかったのでしょうか? それとも、何かを自分で始めたかったのでしょうか? ですが、何をするにしても乱れてはいけませんけど。
Sakuya ☯️
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1.疳性( かんしょう )/ちょっとしたことにも腹を立てる性質。また、すぐに激しやすい性質。
2.懇意( こんい )/親しく交際しているさま。つきあいが深いさま。
3.良人( おっと・りょうじん )/夫( おっと )の古めかしい言い方。
4.痩世帯( やせじょたい )/貧しい暮らし。貧乏所帯。
~コトバンクより~
5.放肆( ほうし )/勝手気ままで乱れていること。また、そのさま。
日本文学全集 徳田秋声集
著 者/徳田秋声氏
発 行/四十二年十一月十二日
発行所/株式会社 集英社
©️ 1967