第24回目は冊子の御紹介です。
【 高野山教報 第1652号 】より🍀
《 陶( すえ )の大曼荼羅 》
ーー陶道即仏道の集大成
老僧の願いを込めてーー
京都府の北部、久美浜湾のほど近く、里山の集落奥にある 丹後支所下寶珠寺( ほうじゅじ )。
眼下には田園風景が広がり、野鳥の鳴き声が響く静かな環境下に佇むこの寺院を訪れると、本堂には高さ三・二五メートル、横三・一メートルの 陶製両界曼荼羅( とうせいりょうかいまんだら/1・2 ) が祀られています。驚くことにこのめずらしい陶製の曼荼羅は、住職が自ら思いを込めて造られたものでした。
1.陶製( とうせい )/焼き物で作ること。陶磁器で作ってあること。
2.両界曼荼羅( りょうかいまんだら )/金剛界曼荼羅( こんごうかいまんだら )と胎蔵界曼荼羅( たいぞうかいまんだら )の併称。両部曼荼羅ともいう。大日如来を主尊とし、密教の諸尊を2種の体系に統合総集して構成した大規模な曼荼羅で、正純密教の説く宇宙観を象徴的に表すものとして最も重視されてきた。
淺田住職 自ら細部にわたり説明くださいました
壇務の合間をぬい、作業は深夜に及ぶことも多かったそうです
仏さまの配置を確認
焼きに入れる前の状態
陶製金泥彩( きんでいさい/3 )両部曼荼羅
( 左 )金剛界 ( 右 )胎蔵界
3.金泥( きんでい )/金粉を 膠( にかわ/4 )の液で泥のように溶かしたもの。日本画や装飾、また写経にも用いた。
4.膠( にかわ )/動物の骨・皮・腱( けん )などから抽出したゼラチンを主成分とする物質。木竹工芸の接着剤、あるいは東洋画の顔料の溶剤など用途が広い。
金泥が施された曼荼羅は落ち着いた輝きを放つ
小さな仏さまも一体一体丁寧に造られている
読み込まれた資料
この巨大な曼荼羅を制作したのは、今年で九十三歳になられた 淺田隆道住職 。隆道住職は旧制高野山大学で密教美術の大家であった佐和隆研教授に 図像学( ずぞうがく/5 ) を学び、昭和二十二年にはその指導の下、京都日野の法界寺阿弥陀堂に描画された金剛界曼荼羅を、 図像学的視点から調査・研究 し卒論を執筆されました。今でこそ誰でもカメラや携帯で記録ができる時代ですが、当時は堂内の仏さまの見取り図を、時間をかけ細部にわたり鉛筆で写し取られたそうです。
5.図像学( ずぞうがく/英語:iconography )/絵画・彫刻等の美術表現の表す意味やその由来などについてを研究する学門。イコノグラフィー。iconはギリシャ語のエイコーンに由来する語。
大学生活を終え、自坊に帰山した昭和二十三年は、父である先の住職隆海師が、天保年間の久美浜唐津山磁器を再現しようと陶窯( とうよう・すえがま/6 )を開創したばかりの頃でした。
「 曼荼羅世界を鉛筆をもって描きたい 」という夢は、父から戦力としての期待を受け、戦中戦後の厳しい時代に高野山で学ばせてくれたことに思いを馳せ、父の思いを甘受し秘められることとなります。そして 人間国宝の近藤悠三氏 に師事し研鑽を積み、世間から一定の評価をいただけるようになった三十歳の頃、
「 法( のり )の灯( ともしび )と歴史ある窯の炎( ひ )を消すことなかれ 」の遺言を残して隆海師が 遷化( せんげ/7 )します。父の遺言は現在まで隆道住職の心の支えとなり、これらの経験が 陶( すえ )の大曼荼羅 制作を決心させた心の原点なのだと言います。
6.陶窯( とうよう・すえがま )/陶磁器を焼くかま。
7.遷化( せんげ )/この世の教化を終え、他の世に教化を移すの意。高僧や隠者などが死ぬこと。入滅。
静かに陶道即仏道の日々を思い過ごしていた平成八年のある日、本尊の左右に懸かった古びた「 金胎両部曼荼羅 」が目に止まり、苦難の連続であったこれまでの人生が走馬燈のごとく脳裏を駆け巡ったそうです。そして、
「 長い年月積み上げてきた陶技で金胎両部曼荼羅を建立しよう 」と決心されます。
そうと決まれば、まずはしっかりとした計画を立て、デザインをしていかなければなりません。《 大日経/だいにちきょう/8 》の図示である胎蔵界曼荼羅、《 金剛頂経/こんごうちょうぎょう/9 》の 図示( ずし/10 )である金剛界曼荼羅には、合わせて一,八七〇体もの仏さまがいらっしゃいます。
8.大日経( だいにちきょう )/仏教経典。もとの名は《 大毘盧遮那成仏神変加持経 》。漢訳は唐の善無畏による。七巻。密教の根本経典の一つ。
9.金剛頂経( こんごうちょうぎょう )/真言宗三部秘経の一つ。大日経とともに密教の根本聖典となっている。梵本は日本で出版されており、漢訳は三種残っている。
10.図示( ずし )/物事を分かりやすくする為に、図によって示すこと。
曼荼羅には、大・法・三摩耶( さんまや )・羯磨( かつま )の四種の表現方法がありますが、隆道住職は大曼荼羅といわれる諸尊の形像による曼荼羅を、粘土を素材としてレリーフにされました。原図は《 三本両部曼荼羅集、御室( おむろ )版高雄曼荼羅 》( 大村西崖/編 )、《 観蔵院曼荼羅 》( 染川英輔/筆 )に決め、安置する本堂壁面に合わせて曼荼羅の寸法、諸尊のサイズ及び構想を固め、それを踏まえて焼成( しょうせい/11 )テストを重ねた後、完成に向けて実際の作業に入られたそうです。
11.焼成( しょうせい )/窯業等で、製品を炉で加熱したり、熱風にさらしたりすること。
齢七十一歳、陶製曼荼羅を自ら造ろうと決心し、構想・準備に十年、制作に三年を費やし、八十四歳を迎えた平成二十一年、隆道住職の悲願は成就します。焼き上がった陶版を本堂で貼り合わせ、金泥彩が施され大曼荼羅はついに完成となりました。
「 多くの人々に、この大曼荼羅に接していただきたい。拝観する人、礼拝する人、それぞれ。美しいと感ずるか、芸術というか、仏道というか。それは人それぞれでいいのです 」と隆道住職は語ります。
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《 理の世界 》を象徴する胎蔵界曼荼羅、《 智の世界 》を象徴する金剛界曼荼羅。真言宗の寺院で掲げられているこの二つの曼荼羅は、
「 宇宙と自分は本質的に一体であり、繋がっている 」ことを示しており、そこに表現されているのは、比較や対立のない世界です。寶珠寺の陶製金泥彩両部曼荼羅が、訪れる人の心の琴線に触れ、隆道住職の願いが皆さまに届くことを願ってやみません。
発 行/平成31年4月15日
発行所/高野山教報社