魔法使いオジオンの教え/entry19

 第19回目の書物の御紹介です。


影との戦い ゲド戦記1 】🍀
 著 者/アーシュラ・K .ル = グウィン氏
 訳 者/清水 真砂子氏


 ゲドは、偉大な魔法使いの弟子ともなれば忽ち( たちまち )奥義を身に付けさせてもらい、力の神秘をたっぷりと味わわせてもらえるだろうと安易に考えていた。獣の言葉も解るだろうし、森の木の葉の囁きも解るようになるだろう。呪文の言葉一つで風を起こしたり、望みの物に姿を変えることも出来るだろう。師匠と共に雄鹿となって駆け回ることも出来ようし、もしかしたら、ワシの翼に乗ってル・アルビまで飛んで行( ゆ )くことも出来るかも知れない。彼はそう思っていた。
 しかし、それはとんでもない思い違いだった。彼らはまず谷を下りそれからゆっくりと南に向かい、更にゴント山を巡る様に西へ向かったが、村から村へ宿を乞い荒野で野宿する道中は、旅のまじない師か鋳掛屋( いかけや /1)か、あるいは乞食と少しも変わらなかった。神秘のしの字も見当たらなかった。何事も起こらなかった。始めの内こそ近づきがたく見えた魔法使いのカシの木の杖は、今では歩くのに使う頑丈な只の棒にすぎなかった。
 三日立ち四日が過ぎてもオジオンはゲドに物の名一つ、神聖文字一つ、まじない一つ教えてはくれなかった。

 口数こそ大層少ないものの、オジオンはいつも穏やかで優しかったので、ゲドは忽ち遠慮を忘れ、更に一日二日も立つと大胆にもこう切り出した。
師匠、修行はいつになったら始まるだね 
もう始まっておる。オジオンは答えた。
 沈黙が流れた。ゲドは口答えしたいのを必死で堪えていた。が、とうとう我慢出来なくなった。
だけど、俺、まだ何にも教わってねえ。
それはわしが教えておるものが、まだ、そなたに解らないだけのことよ。
 魔法使いはオバークからウィスへ越える峠の道を、大股でゆっくりと歩きながら答えた。彼は他のゴント人同様茶褐色の肌をしていた。髪は既に白く、身体はほっそりと痩せていたが、猟犬の様に頑強で、疲れを知らなかった。彼はめったに口を利かず僅かしか口にせず、睡眠は更に少なかった。目も耳も大層鋭く、その顔には屡( しばしば )何者かにじっと聞き耳を立てているらしい表情が浮かんだ。
 オジオンに言われてゲドは返答に詰まった。魔法使いの言葉に答えるのは必ずしも優しくない。
魔法が使いたいのだな。 オジオンは大股に歩を運びながら言った。 だが、そなたは井戸の水を汲み過ぎた。待つのだ。生きるということはじっと辛抱することだ。辛抱に辛抱を重ねて人は始めて物に通じることが出来る。ところで、ほれ、道端のあの草は何という 
ムギワラギク。
では、あれは 
さあ。
俗にエボシグサと呼んでおるな。 オジオンは立ち止まって、銅を打った杖の先をその小さな雑草の近くに止めた。ゲドは間近にその草を見た。それから、乾いた莢( さや )を一つ毟り( むしり )取った。オジオンは口を噤んで( つぐんで )後を続けない。ゲドは堪り兼ねて聞いた。
この草は何に使える 
さあ。
ケドは暫く莢を手にして歩いていたが、やがて、ぽいと投げ捨てた。
そなた、エボシグサの根や花が四季の移り変わりにつれて、どう変わるか知っておるかな それをちゃんと心得て、一目見ただけで、匂いを嗅いだだけで、種を見ただけで、直ぐにそれがエボシグサかどうか解るようにならなくてはいかんぞ。そうなって始めて、その真の名を、その丸ごとの存在を知ることが出来るのだから。用途等より大事なのはそっちのほうよ。そなたのように考えれば、では、詰まる所そなたは何の役に立つ このわしは はてさて、ゴント山は何かの役に立っておるかな 海はどうだ オジオンはその先半マイルばかりもそんな調子で問い続け、ようやく最後にひとこと言った。 聞こうと言うなら黙っていることだ。
 少年はぴりりと眉を動かした。自分の愚かさを思い知らされるのは愉快なことではなかった。それでも彼は煮え繰り返る怒りと苛立ちをじっと押さえて、決して口答えはすまいと努めた。そうすれば、いくらオジオンだって遂には折れて、何か教えてくれるだろう。ゲドは今、何でもいいから兎に角( とにかく )学びたかった。力を身に付けたかった。だが、一方では、こんな男と歩くくらいなら、薬草採りや村のまじない師と歩いた方が余程勉強になるのに、とも思い始めていた。

 山腹を西へ折れてウィスを過ぎ、淋しい森の中へ入っていく頃には、この偉大な魔法使いの何処が偉大で何が魔法なのか、彼にはますます分からなくなっていた。雨が降ったのにオジオンは雨避けの呪文一つ唱えようとはしなかったのだ。雨避けの呪文くらい、この辺では風の司なら誰だって知っていた。今でもゴントとかエンレイド諸島といった魔法使いの多く集まる所では、そうした人々によって雨避けの呪文が唱えられ、その度に、雨雲はあっちへ押されたりこっちへ押し返されたり、遂には、のんびりと雨を降らすことの出来る海の上に集まって行くのがよく見られるものだ。それなのにオジオンときたら、雨は雨雲の気の向くままに降らせて、自分は葉の茂ったモミの木を見つけて雨宿りするだけ。そんな時、ゲドは小さな灌木の茂みの中にびしょ濡れになって蹲り( うずくまり )、幾ら力があったって、賢すぎて使えないなら何にもなりゃしないじゃないか、とぶつぶつ文句を言うしかなかった。こんな目に遭うくらいなら、谷間のあの年取った風の司の弟子になっていれば良かった。あそこなら、兎も角も乾いた服で眠ることが出来たろうに。だが、勿論そんな思いを口にした訳ではない。彼はひとことも言わなかった。オジオンはそんな弟子を見て微笑み、雨の中で眠りに落ちていった。



次回へ続きます。


1.鋳掛屋( いかけや )/鍋・釜等の穴のあいた部分を、はんだづけなどで修理する店。




 発 行/2009年 1月16日 第1刷
    /2014年 6月16日 第9刷
 発行所/株式会社 岩波書店
  漢字表記を多めに使用して御紹介しています。



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 文句を言うゲドを微笑みながら見ているオジオンは、心の視野が広いですね。そして、オジオンの言葉には考えさせられました。