お金の魔力/entry39

第39回目は entry38 の続きです。

 

【 日本文学全集8 徳田秋声

 著 者/徳田 秋声氏

 

あらくれ

 しかし時がたつにしたがって、その時の事実の真相が少しずつお島の沁( し )みこむようになってきた。養家の旧( もと )を聞き知っている学校友だちなどから、ちょいちょい聞くともなし聞き齧( かじ )ったところによると、六部はその晩急病のためにそこで落命したのであった。そして死んだ彼の懐( ふとこ )ろに、小判の入った重い財布があった。それをそっくり養父母は自分の有( もの )にしてしまったというのであった。お島はその説の方に、より多く真実らしいところがあると考えたが、やっぱりいい気持ちがしなかった。

言いたがるものには、何とでも言わしておくさ。お金ができると何とかかとか言いたがるものなのだよ

 お島がそのことを、そっと養母に糺( ただ )したとき、彼女はそう言って苦笑していたが、養父母に対する彼女のこれまでの心持ちは、だんだん裏切られてきた。自分の幸福にさえ黒い汚点( しみ )ができたように思われた。そしてそれからというもの、できるだけ養父母の秘密と、心の傷を劬( いたわ )りかばうようにと力( つと )めたが、どうかすると親たちから疎( うと )まれ憚( はばか )られているような気がさしてならなかった。

 六部の泊まったという、仏壇のある寂しい部屋を、お島は夜厠( かわや )への往き来にかならず通らなければならなかった。そこは畳の凸凹( でこぼこ )した、昼でも日の光の通わないような薄暗い八畳であった。夫婦はそこから一段高い次の部屋に寝ていたが、お島は大きくなってからはたいてい勝手に近い六畳の納戸( なんど )に寝かされていた。お島はその八畳を通るたんびに、そこに財布を懐( ふとこ )ろにしたまま死んでいる六部の蒼白い顔や姿が、まざまざ見えるような気がして、身うちがぞっとするようなことがあった。夜はいつでも宵の口から臥床( ふしど )に入ることにしている父親の寝言などが、ふと寝覚めの耳へ入ったりすると、それが不幸な旅客の亡霊か何ぞに魘( うな )されている苦悶の声ではないかと疑われた。

 陽気のぽかぽかする春先などでも家のなかには始終湿っぽく、陰惨な空気が籠っているように思えた。そして終日庭むきの部屋で針をもっていると、頭脳( あたま )がのうのうして、寿命がちぢまるような鬱陶( うっとう )しさを感じた。お島は糸屑を払いおとして、裏の方にある紙漉場( かみすきば )の方へ急いで出ていった。

 藪畳(やぶだたみ)を控えた広い平地にある紙漉場のよしずに、温かい日がさして、楮( かぞ )を浸すためになみなみと湛( たた )えられた水が生暖かくぬるんでいた。そこらには桜がもう咲きかけていた。板に張られた紙がたくさん日に干されてあった。この商売も、この三四年近辺に製紙工場ができなどしてからは、早晩罷( や )めてしまうつもりで、養父はあまり身を入れぬようになった。今は職人の数も少なかった。そして幾分不用になった空地は庭に作られて、洒落た枝折門( しおりもん )などが営( しつら )われ、石や庭木が多く植えこまれた。住居( すまい )の方もあちこち手入れをされた。養父は二三年そんなことにかかっていたが、今はたんにそればかりでなく、抵当流れになったような家屋敷もほかに二三箇所はあるらしかった。けれど養父母はお島に詳しいことを話さなかった。

貧乏くさい商売だね お島は自分の稚( ちいさい )い時分から居ずわりになっている男に声かけた。その男は楮の煮らるる釜の下の火を見ながら、跪坐( しゃが )んでたばこを喫( す )っていた。

 顎髯( あごひげ )の伸びた蒼白い顔は、明るい春先になると、いっそう貧相らしくみえた。

お前さんの紙漉も久しいもんだね

だめだよ。旦那が気がないから 作というその男はうつむいたまま答えた。 もう楮のなかから小判の出てくる気遣いもないからね

真実( ほんとう )お島は鼻頭( はなのさき )で笑った。

 

 

 

次回へ続きます。

 

 

 

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 真相はどうなんでしょうか。お金という物はは良くも悪くも人の心を動かしてしまう物ですね。

  Sakuya☯️

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日本文学全集8 徳田秋声

 発 行/昭和四十二年十一月十二日

 ©️1967