第48回目は仏教に関する書物の御紹介です🍀
【 美の観音 】
著 者/望月 信成氏
二 観音という名称
われわれが最も親しい観音という名称も、あるいは観世音( かんぜおん )と言い、あるいは観自在菩薩( かんじざいぼさつ )などと呼ぶこともある。いったいいずれが正しい名なのであろうか。
仏教の多くの仏菩薩の名称は印度のそれをそのまま用いているか、あるいは翻訳して使用しているものである。例えば阿弥陀仏( あみだぶつ /1 )・釈迦牟尼仏( しゃかむにぶつ /2 )などは印度の語音そのままであり、大日如来( だいにちにょらい /3 )・弥勒( みろく・弥勒菩薩 /4 )などは漢訳したものにほかならない。私たちの普通呼びなれている「 観音 」も翻訳名であって、原名は阿縛盧枳低湿伐邏( あばろきていじゅばら/Avalokitesvara )という。古い時代にはこれを訳して観音または観世音といったが、更に無量清浄平等覚経( むりょうしょうじょうびょうどうかくきょう )という経には光世音( こうぜおん )と訳し、新しい訳には観自在といっているのである。どうしてこのようにいろいろの訳ができたかというと、少々煩わしいが、外国語の翻訳のことを論じなければならない。それを簡単に示すと、 avalokita は「 観ること 」の意であって、これは大体何ぴとも「 観 」と訳した。そして、その次に来る語を、古い時代の学者は svara であると考え、これに娑婆羅( さばら )の漢字をあて、訳して「 音 」である。これで「 観音 」となった。しかしまたほかの翻訳学者は ava は観で、 loka は世界、 svara は音声であるから「 観世音 」と訳すべきだと主張した。観世音菩薩と呼ぶと非常に「 ごろ( 語呂・語路 /5 ) 」がいいので、一度この訳が出ると、世間では盛んにこの名を用いるようになった。
ところがまたまた語学者が現れて、 aloka は光明、 loka は世、 svara は音であるから「 光世音 」と訳すべきだと言い出した。語学というものは全くむつかしいもので、考えようによっていろいろの方向から分析ができるものである。お経によって光世音と訳したものもなかなか多い。
しかし唐の大学者玄奘三蔵( げんじょうさんぞう /6 )は親しく印度を遍歴して実地に印度語を研究して来た。そして従来梵語( ぼんご・Sanskrit /7 )からの漢訳にいろいろの誤りがあることに気がつき、極力その訂正を行った。これを仏教では新訳といい、それ以前の訳出を旧訳と言っている。それで玄奘は、観音・観世音、または光世音などのまちまちな名称を再検討してみたところ、いずれも全部あやまりで、 Avalokitesvara を avalokita( 観 )と isvara との二つに分かつべきであると主張した。 isvara は自由自在の意であるから、彼は「 観自在 」と訳した。語学的にいうとこれが正訳で、従来のは全部誤訳であったことがわかった。それで玄奘三蔵は大唐西域記( だいとうさいいきき )第三に次のように言っている。
「 阿縛盧枳低溼伐羅( あばろきていしゃばら )は唐に観自在と言う。分文散音すれば、即ち阿縛盧枳多( あばろきた )は訳して観と曰( のたま )い、伊溼伐羅(いしゃばら)は訳して自在と曰う。旧に訳して光世音となし、或は観世音、或は観世自在というのは訛謬( かびゅう /8 )である 」
と論じている。なるほど玄奘三蔵の解明によってはっきりわかったような気がするが、今まで観音様と呼んでおすがり申し上げていた菩薩のお名前がまちがっていて、観自在菩薩( かんじざいぼさつ /9 )さまというべきであったのだとわかってみると、全く観音信者にはへんな気がしたにちがいない。遠い浄土にいます観自在菩薩さまは、おそらく苦笑していられることと想像する。
「 娑婆世界の知恵のない者どもは、とうとうわしの本当の名を言いあてよった 」
と浄土内にいられる聖衆( しょうじゅ /10 )たちと語りあっていられることと思う。それにしても玄奘三蔵の語学はえらいもので、現在生きていたら、文化勲章ものであろう。いやノーベル賞をもらったかも知れない。三蔵はこのように旧訳のあやまりを訂正したところが非常に多かった。すばらしい学者である。
1.阿弥陀仏( あみだぶつ )/阿弥陀如来ともいう。無量光( むりょうこう )・無量寿( むりょうじゅ )と漢訳。極楽浄土に存在する仏でおもに浄土教で信仰される。その起源については異説が多い。100年頃の『 無量寿経( むりょうじゅきょう ) 』によれば、阿弥陀仏は世自在王仏( せじさいおうぶつ )のとき法蔵比丘( ほうぞうびく )という菩薩であったが48の誓願を立てて修行し仏となり、極楽浄土を設立し現在もそこで説法している、とあります。
~ コトバンクより ~
2.釈迦牟尼仏( しゃかむにぶつ )/釈迦の尊称です。
~ コトバンクより ~
3.大日如来( だいにちにょらい )/真言密教の教主である仏であり、密教の本尊です。
~ Wikipedia より ~
4.弥勒( みろく・弥勒菩薩 )/釈迦仏( しゃかぶつ )の次にこの世に現れ、仏となるとされる菩薩。慈氏と訳する。『 弥勒下生経( みろくげしょうきょう ) 』などによると、弥勒菩薩は現在兜率天( とそつてん )にあって説法しており、釈迦入滅後56億7000万年後に下生( げしょう )し、釈迦の説法に漏れた無数の衆生を救済するという。下生のときにはすでに釈迦仏の代わりとなっているので菩薩ではなく仏となっており、そのために将来仏・当来仏とも呼ばれます。
~ コトバンクより ~
5.ごろ( 語呂・語路 )/言葉の音の続き具合や調子。
~ 辞典より ~
6.玄奘三蔵( げんじょうさんぞう )/玄奘は、唐代の中国の訳経僧( やっきょうそう )。玄奘は戒名であり、俗名は陳褘( ちんい )。諡( おくりな )は大遍覚で、尊称は法師・三蔵など。鳩摩羅什( くまらじゅう )と共に二大訳聖、あるいは真諦( しんだい )と不空金剛( ふくうこんごう )を含めて四大訳経家とも呼ばれる。629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還しました。
~ Wikipedia より ~
7.梵語( ぼんご・Sanskrit )/漢字表記の梵語は、中国や日本など漢字文化圏でのサンスクリットの異称。日本では近代以前から、般若心経などサンスクリットの原文を漢字で翻訳したものなどを通して、梵語という言葉は使われてきた。梵語は、サンスクリットの起源を造物神ブラフマン( 梵天 )とするインドの伝承を基にした言葉です。
~ Wikipedia より ~
8.訛謬( かびゅう )/あやまり。まちがい。
9.観自在菩薩( かんじざいぼさつ )/法華経普門品( ほけきょうふもんぼん )第二十五『 観音経( かのんきょう ) 』で、観自在菩薩は施無畏者( せむいしゃ )であると言われています。施無畏者とは「 怖いことや災いのない状態を人々に施してくれるもの 」という意味です。
観自在菩薩は、人々の苦しみの声を聞き、苦しみのありさまを見届け、そのような人たちを全て救ってくれる崇高で偉大な仏です。
~ 般若心経( はんにゃしんぎょう ,
Heart sutra )
読経 , 写経 262文字
知恵の経文より ~
10.聖衆( しょうじゅ )/極楽浄土に往生を願う人の臨終に、阿弥陀仏と共に来迎( らいごう )する諸菩薩です。
次回へ続きます。
🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿
語学というのはなかなか面白いものですね。
Sakuya☯️
🌿🌿🌿🌿🌿🌿
著者略歴
望月 信成氏
明治三十二年六月生まれ。
大正十五年東大文学部美学及美術史科卒。京都博物館鑑査員を経て大阪市立美術館長兼大阪市立大学教授。
主な著書「 日本上代の彫刻 」「 絵巻物の鑑賞 」「 支那絵画史 」「 仏画仏像の話 」等。
美の観音
発 行/昭和卅( さんじゅう )五年七月十五日
©️ 10th July 1960, Printed in Japan.
発行所/創元社