八千枚護摩行/entry65

第 65 回目は仏教書の御紹介です🍀

 

 

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【 阿 炎の行者 池口恵観自伝 字 】

  衆生救護に生きる沙門

   その波乱に満ちた軌跡

 著 者/高野山真言宗傅燈大阿闍梨

     池口 恵観氏

 

 

  八千枚護摩行へ

 

 これは負け惜しみでなく思うのだが、人生は学校の成績とは関係ない。企業がなぜ運動部員だった人間を歓迎するかというと、巷間言われるように 批判精神を持たず命令には絶対服従するから では断じてない。苦しい練習をくぐり抜けてきているから、多少の困難や危機に直面しても屁とも思わないからだ。

 もう一つは 体力と気力の貯金 を持っていることである。私に関していえば、大学時代、勉強に力を入れなかった分だけ しなければいけない というがたまっている。

同時に、激しい勉強や行に欠かすことのできない 体力 もついているし、それをどうセーブし、どう使えばよいかというコントロール法も身についている。運動部員出身の企業人もそうであろう。その奮闘ぶりを見て、経験則として 運動部出身者は頑張りがきく ことを承知しているから、企業は彼らを歓迎するのである。

 加えて、私たちの時代の運動部員は、おおむねみじめな食環境、住環境に置かれていた。大阪地下鉄動物園前で下車して行く百円宿での合宿にそれは象徴されている。

 ということは、まず大抵のことには落ち込まないことを意味する。食えて眠れさえすれば これが最高の生活 と安心し満足してしまうのである。私など、その典型的な存在だ。

 人間、満足していると、心も顔も声も明るくなる。お大師さまはその昔 性霊集 巻八で 心暗きときは、即ち遭う所悉く福なり、眼明らかなるときは、即ち途に触れて皆宝なりと述べているが、いつも明るい心で物事を見極めていけば、出会うものが皆宝になるのである。明るい心は光に伺い、光は明るい心に寄ってくる。結果、信者さんへの助言も、お加持も、自分自身の行動についても、積極的、建設的になる。

 昭和三十八年四月、私はいよいよ密教最大最高の行といわれる八千枚護摩行に挑むことになった。

 八千枚護摩行、正しくは 焼八千枚護摩は、真言密教最大の荒行である。熱心に挑む真言行者でも生涯に一回成満できるかどうかという行だ。

読経をしたら刀岳の禅を組め、禅を組んだら修法せよ。修法したら護摩を焚け。護摩を焚いたら八千枚護摩供を行え。八千枚を終えたら十万枚、そして先祖も誰も達成したことのない百万枚護摩行に挑戦してみよ 

 私は五、六歳の頃から繰り返し父にこう言われてきた。

 相撲と舞踏に明け暮れた学生時代、そしてクーデター未遂事件に関与した大学卒業後の二年間と多少寄り道をしてしまったが、心を入れ替え、托鉢から再生の道を歩みはじめた私は、前回でも述べたように生家の西大寺に戻って行三昧、勉強三昧の生活を送っていた。

 気力と体力のこの上もない充実を感じた私は、今をおいて挑戦する機会はないと判断、八千枚護摩行を行うことにした。二十七歳であった。

 

 

  

  菜食をしながら

 

菜食をして念誦をなし、数、十万遍を満ぜよ。断食すること一昼夜、方に大供養を設けて、護摩の事業をなせ。まさに苦練木護摩木 )をもって、両の頭を酥( そ )にさして焼くべし。八千枚を限りとなす

 これは、お大師様弘法大師空海密教の伝授を受けた中国の恵果和尚の師に当たる不空三蔵が翻訳した『 不動立印軌 ( ふどうりついんき )に記された文言である。( そ )とは 牛または羊の乳を煮つめて濃くした槳( しょう ) (『 広辞苑 』)のこと。

 なぜ、八千枚なのか。いくつかの説がある。

 第一には『 梵網経( はんもんきょう )という経に、 釈尊はこの世に生まれる前世で修行していたとき、娑婆( この世 )と彼岸( あの世 )を八千回往復して迷える衆生を救ったと書かれていることに由来するという説。

 第二には、釈尊がインドに生まれてから悪魔や魔神を折伏( しゃくぶく )して仏の道に導き入れた( これを 降魔成道 という )のが八千回に及ぶと言い伝えられているところからきたとする説。

 第三は、新義真言宗の開祖、興教大師覚鑁上人( こうぎょうだいしかくばんしょうにん/一〇九五 ~ 一一四三 )による説で、衆生の限りない妄信は八識( はつしき )、つまり眼識( げんしき )、耳識( にしき )、鼻識( びしき )、舌識( ぜつしき )、身識( しんしき )、意識( いしき )、未那識( まなしき )阿頼耶識( あらやしき )、という八つの意識作用にまとめられる。そこに無限・無数を表す千をつけて八千枚になっているのだという説である。

 そのいずれであれ、釈尊が味わった数限りない苦行・労行を一昼夜に短縮して追体験するという凄まじい行が八千枚護摩行なのだ。

 まず、菜食をしながら、毎日護摩行を修する。

 その間に慈救呪護摩木をくべている間に唱える真言のこと )を十万回唱える。最後の結願の日に一昼夜の断食を行いながら八千枚の護摩を焚くーーー  一口にいうとこうなるが、問題は 不動立印軌 は大筋だけが述べられていて、護摩の大きさだとか焚き方だとか、菜食の内容だとか十万回をどう案分するかなど具体的な指示は何もなされていないことだ。

 そうしたやり方、つまり修法は、密教では 師資相承( ししそうじょう )といって師から弟子へ直接口伝( くでん )で伝えられる。それゆえ、幾つもの簡単な教えは残っているが、これが正統といった記録は文章では残されていない。

 私も父から八千枚の修法伝授を受けていたが、実際に行うとなると疑問点がいくつも出てきた。それについては自分で工夫し乗り越えなくてはならないと悟った。世阿弥 花伝書 物数を極め、工夫を凝らして後、まことの花の失せぬ所をば知るべし とあるが、試行錯誤しながらいろいろなやり方でやってみて、壁に当たり、失敗を繰り返しながら一歩後退二歩前進をしていく以外に王道はないようであった。

 八千枚護摩供は、加行( 前行 )を七日間、十日間、二十一日間、五十日間、百日間と各種のやり方がある。一般的なのは二十一日間で行う方法。私も第一回目はこの方法をとった。

 最初の七日間は「 菜食( さいじき )」といって昼を過ぎたら食事をしない。ではいつ食べるのかというと朝と昼の二食で、もちろん精進である。

 次の七日間では五穀断ちをする。行者によって断つものは異なるが、私は米、大麦、小麦、大豆、小豆としている。

 いよいよ最後の七日間。三日間は十穀を経つ。私の場合、五穀に加えて、塩と火を通したもの一切を断つことにしている。となると、食べられるものは生野菜と果物のみということになる。

 そして次の三日間は断食をして水だけにする。最後の丸一日は水も断つ。

 この加行期間は毎日初夜、日中、後夜と三回、不動法と護摩行を行う。大日如来の使者である不動明王をお迎えし、不動真言を唱えながら水や供物をさし上げて接待し、祈願を申し上げてお帰りいただくのだ。

 不動真言 ノウマク サンマンダァバーザラダン センダン マカロシャダ ソワタヤウンタラタァカンマン である。普通の人が唱えると五、六秒かかる。五秒として一分間に十二回。一時間で七百二十回。熟練した人だと一時間で一千二百 ~ 一千三百回であろう。

 加行では、これを一座ごとに五千二百五十回唱える。五時間近くかかる。その後に護摩法を行う。護摩を焚きながら火天( 火の神。 アグニという )、般若菩薩、不動明王、諸尊( その他の如来、菩薩、明王、諸天( 天部の諸尊。帝釈天毘沙門天梵天、大黒天、聖天など )と五段階に分かれる仏さまたちを次々にお呼びし、ご供養し祈願してお帰りいただくのである。その間に焚くのは壇木( だんぼく )三十六本。乳木百八本( 支ともいう )と二十一本である。

 最初のうちは、不動法に真言を加えてと護摩を修すると最低でも七時間近くかかる。

 第一日目は 初夜 の一座だけだが、二日目からは 後夜 ( 午前三時頃から ) 日中 ( 午前十時頃から ) 初夜 ( 午前二時頃 )からと一日三座になる。もし一座に七、八時間を要するならそれだけで丸一日がかかってしまい、続けるなら死ぬだろう。そこで、一座の所要時間を五時間ぐらいに圧縮するか、日数をもっと延ばして一日ニ座 後夜 」「 初夜 行うしか方法はないということになる。一座を五時間以内で行うには行法に熟達していないと、とても無理。それゆえ八千枚護摩行は やる気 体力だけではかなわぬ行なのである。

 三日目、四日目、五日目、六日目、七日目と 後夜 」「 日中 」「 初夜 の一日三座の行を行い、そのたびに不動真言五千二百五十遍を誦( ず )し、百八本の乳木を焚いていく。

 結願( 成満 )二十四時間前の七日目の 後夜 からは完全断食に入る。

 最後の八日目は、 後夜 真言百五十遍、結願の座である 日中 真言百遍を唱える。それまでの十九座で真言を九万九千七百五十回唱えてきているので合計十万遍となる。

 八千枚の護摩はこの 日中 に一挙に焚く、一本一本に祈願を込め、真言を唱えながらくべていく。

 

 

 

  護摩木がどんどん重く

 

 私が最福寺で毎日行っている護摩行は、信者さんから送られてくる祈願札を含め一千五百 ~ 二千枚。二時間ほどで一座が終わる。それが八千枚となると、体力が限界に近づいていることもあって八時間はかかる。

 前行のときから私は 果たして八時間ももつだろうか との不安を抱き大緊張していた。

 だんだんと精気がなくなっていくのは予想していた。エネルギーを摂っていない以上、当然の結果だ。けれども思考能力がどんどん落ちていくのは予想外だった。熱い。苦しい。苦しい。熱い。朦朧( もうろう )とした意識の中で、、、、、、、、

 

 

 

 

著者紹介

池口 恵観氏

昭和十一年十一月十五日鹿児島県肝属郡東串良町に生まれる

高野山大学 文学部密教学科卒業  高野山真言宗傅燈大阿闍梨

鹿児島市最福寺法王  医学博士山口大学

平成元年五月十四日百万枚護摩行成満

山口大学広島大学、金沢大学、久留米大学の各医学部等十四大学の非常勤講師

近著に ひっ飛べのこころ 』( 扶桑社 )ほか著書多数

 

 

発 行/2004年10月15日 初版

   /2004年12月 1日 2版

発行所/株式会社 リヨン社