おとらさんは何処へ/entry67

第 67 回目は《 度合/entry57 》の続きです🍀

 

 

f:id:sakuyamonju:20191117200942j:plain

 

日本文学全集 8 徳田秋声

 著 者/徳田 秋声氏

 

 

 あらくれ

 

  九

 

 いつのころであったか、たぶんその翌年ごろの夏であったろう、その年おもにお島の手に委( まか )されてあった、わずか二枚ばかりの蚕が、上蔟( じょうぞく/ 1するに間のないある日、養父とごたごたした物言のあげく、養母は着物などを着替えて、ぶらりとどこかへ出ていってしまった。

 養母はその時、青柳にその時々に貸した金のことについて、養父から不足を言われたのが、気に障( さ )わったと言って、大声をたてて良人に喰ってかかった。話の調子の低いのが天性( もちまえ )である養父は、嵩( かさ / 2にかかって言い募ってくるおとらのためにやりこめられて、しまいには宥( なだ )めるように辞( ことば )を和らげたが、やっぱりいつまでもぐずぐず言っていた。

ちっと昔しを考えてみるがいいんだ。お前さんだっていいことばかりもしていないだろう。旧( もと )を洗ってみた日には、あんまり大きな顔をして表を歩けた義理でもないじゃないか

 養蚕室にあてた例の薄暗い八畳で、給桑( きゅうそう / 3に働いていたお島は、甲高( かんだか )なその声を洩れ聞くと、胸がどきりとするようであった。お島はじきに六部のことを思いださずにいられなかった。ぶすぶす言っている哀れな養父(ちち)の声も途断( とぎ )れ途断れに聞こえた。

 青柳に貸した金の額は、お島にはよくは判( わか )らなかったが、家の普請( ふしん / 4に幾分用立てた金を初めとして、ちょいちょい持っていった金は少ない額ではないらしかった。この一二年青柳の生活が、いくらか華美になってきたのが、お島にも目についた。養父の知らないような少額の金や品物が、始終養母の手からそっと供給されていた。

 お島はその年の冬のころ、一度青柳といっしょに落ちあった養母のお伴( とも )をしたことがあったが、十七になるお島を連れだすことはおとらにもようやく憚( はばか / 5られてきた。場所も以前のお茶屋ではなかった。

 その日も養父は、使い道のはっきりしないような金のことについて、昼ごろからおとらとの間に紛紜( いざこざ )を惹( ひ )き起こしていた。長いあいだ不問に附してきた、青柳への貸しのことが、ふとその時彼の口から言いだされた。そして日ごろ肚( はら )に保( も )っていたいろいろの場合のおとらの挙動( ふるまい )が、ねちねちした調子で詰( なじ / 6られるのであった。

 結局おとらは、綺麗に財産を半分わけにして、別れようと言いだした。そして良人の傍を離れると、奥の間へ入って、しばらく用簞笥( ようだんす )の抽斗( ひきだし )の音などをさせていたが、それきり出ていった。

まあ阿母( おっか )さん、そんなに御立腹なさらないで、後生ですから家にいてください。阿母さんが出ていっておしまいなすったら、私なんざどうするんでしょう

 お島はその傍へいって、目に涙をためて哀願したが、おとらは振顧( ふりむ )きもしなかった。

 夜になってから、お島は養父に吩咐( いいつ )かって、近所をそっちこっち尋ねてあるいた。青柳の家へもいってみたが、見つからなかった。

 おとらのまだ帰ってこない、ある日の午後、蚕に忙しいお島の目に、ふと庭向うの新建( しんだち )の座敷で、おとらを生家( さと )へ出してやった留守に、いつしかしたように、おびただしい紙幣( さつ )を干している養父の姿を見た。八畳ばかりの風通しのいいその部屋には、紙幣の幾束が日当りへ取りだされてあった。

 

 

🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿

 

新年明けましておめでとうございます。

 皆様、本年も宜しくお願い致します🎍

 

 おとらさんは出ていってしまいましたが、亭主に対して不満を抱いてもいたのではないでしょうか。離婚しようなんて、なかなか口には出せないことだと思いますし。

 それにしても、何処へいってしまったのでしょう? 意外に何日かしたら元気に帰ってくるかもしませんね。

  Sakuya ☯️

   🌿🌿🌿🌿🌿🌿

 

 

1.上蔟( じょうぞく )/まゆを造らせるため、蚕を蔟( まぶし / 7の上にのぼらせること。

 

2.( かさ )にかかる/相手を威圧するような態度をとる。勢いづいて事をする。

 

3.給桑( きゅうそう )/蚕に桑の葉を与えること。

 

4.普請( ふしん )/建築・道路などの工事。もと、仏教で、広く寄付を募って、堂宇などを新築したり修繕したりしたこと。

 

5.( はばか )る/恐れつつしむ。遠慮する。

 

6.( なじ )る/相手の過失を問いただして責める。

 

7.( まぶし )/蚕が繭をつくるとき、糸をかけやすいようにした仕掛け。わら・竹・紙などで作る。

 

 

 

 

日本文学全集8 徳田秋声

著 者/徳田 秋声氏

発 行/昭和四十二年十一月十二日

発行所/株式会社 集英社

©️ 1967