第 75 回目は《 気紛れなおとらさん/entry71 》の続きです🍀
日本文学全集8巻 徳田秋声集
著 者/徳田 秋声氏
あらくれ《 entry71 》の続き
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おとらと青柳との間になりたっていたお島と青柳の弟との縁談が、養父の不同意によって、立消えになったころには、おとらもだんだん青柳から遠ざかっていた。一つはお島などの口から、自分と青柳との関係が、うすうす良人の耳に入ったことが、その様子で感づかれたのに厭気( いやけ )がさしたからであったが、一つは青柳夫婦がぐるになって、慾一方でかかっていることがあまりに見えすいていてきたからであった。
お島が十七の暮から春へかけて、作の相続問題が、また養父母のあいだに持ちあがって来た。お島はそのことで、養父母の機嫌をそこねてから、一度生みの親たちの傍へ帰っていた。お島はそのころ、誰が自分の婿であるかをはっきり知らずにいた。そして婚礼支度の自分の衣装などを縫いながら、時々青柳の弟のことなどを、ぼんやり考えていた。東京の学校で、機械の方をやっていたその弟と、お島はついこれまで口を利いたこともなかったし、自分をどう思っているかをも知らなかったが、深川の方に勤め口が見つかってから、毎朝はやく、詰襟( つめえり )の洋服を着て、鳥打ちをかぶって出てゆく姿をちょいちょい見かけた。途中で逢うおりなどには、双方でお辞儀ぐらいはしたが、お島自身は彼について深く考えてみたこともなかった。そして青柳とおとらとの間に、その話の出るときいつも避けるようにしていた。
ある時そんなことについては、から薄ぼんやりなお花の手を通して、綺麗な横封に入った手紙を受け取ったが、洋紙にペンで書いた細かい文字が、何を書いてあるのかお花にはよくも解らなかったが、双方の家庭に対する不満らしいことの意味が、お島にもぼんやり頭脳( あたま )に入った。お島のそんな家庭に縛られている不幸に同情しているような心持ちも、微( かす )かに受け取れたが、お島は何だか厭味( いやみ )なような、擽( くすぐ )ったいような気がして、後で揉みくしゃにして棄ててしまった。そのことを、多少は誇りたい心で、おとらに話すと、おとらも笑っていた。
「 あれも妙な男さ。養子なんかに行くのは厭( いや )だといっておきながら、そんな物をくれるなんて、厭だね 」
お島は養父母が、すっかり作に取り決めていることを感づいてから、仕事も手につかないほど不快を感じてきた。おとらは不機嫌なお島の顔をみると、お島が七つのとき初めて、人につれられて貰われてきた時の惨( みじ )めなさまを掘り返して聞かせた。
「 あの時お前のお父さんは、お前の遣場( やりば )に困って、阿母( おっか )さんへの面( つら )あてに川へでも棄ててしまおうと思ったくらいだったという話だよ。あの阿母( おっか )さんの手にかかっていたら、お前は産まれもつかぬ不具( かたわ )になっていたかもしれないよ 」おとらはそう言って、生みの親の無情なことを語り聞かせた。
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青柳の弟さんがお島さんに手紙を送ったのは、お島さんの気持ちを確かめたかったからだとは思うのですが、結婚相手を勝手に取り決められてしまうというのは、嫌なことですね。
Sakuya ☯️
日本文学全集8 徳田秋声集
著 者/徳田 秋声氏
発 行/昭和四十二年十一月十二日
発行所/株式会社 集英社
©️ 1967