お島さんの実家 ~あらくれ~ /entry79

おはようございます
第79回目は日本文学の御紹介です。

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日本文学全集8
  徳田秋声
 著 者/徳田 秋声氏

あらくれ
 
 十三
  ( entry78の続き )

 盆か正月でなければ、めったに泊まったことのない生みの親たちの家へ来て二三日たつと、じきに養母が迎いに来た。
 お島が盆暮に生家を訪ねる時には、砂糖袋か鮭を堤( たずさ )えて作がきっとお伴をするのであったが、この二三年商売の方を助( す )けなどするために、時には金のしまってある押入や用箪笥の鍵を委( まか )されるようになってからは、不断は仲のわるい姉や、母親の感化から、これもともすると自分に一種の軽侮( けいぶ / 1を持っている妹に、半衿( はんえり / 2や下駄や、いろいろの物を買っていって、お辞儀をされるのを矜( ほこ )りとした。姉や妹に限らず、養家へ出入りする人にも、お島はぱっぱっと金や品物をくれてやるのが、気持ちがよかった。貧しい作男の哀願に、堅く財布の口を締めている養父も、傍へお島に来られて喙( くち )を容( い )れられると、因業( いんごう / 3を言い張ってばかりもいられなかった。遊女屋から馬をひいてくる職工などに、お島は自分の考えで時々金を出してくれた。それらの人は、途( みち )でお島に逢うと、心から叮嚀( ていねい )にお辞儀をした。
 おおかたの屋敷まわりを兄に委( まか )せかけてあった実家の父親は、兄が遊蕩( ゆうとう / 4を始めてから、また自分で稼業に出ることにしていたので、お島はそうして帰ってきていてもめったに父親と顔を合わさなかった。毎日毎日箸の上げ下ろし5に出る母親の毒々しい当てこすりが、お島の頭脳をくさくささせた。「 そう毎日毎日働いてくれても、お前のものといっては何にもありゃしないよ 」
 母親は、外へ出て広い庭の草を取ったり、父親が古くから持っていて手放すのを惜しんでいる植木に水をくれたりして、まめに働いているお島の姿をみると、家のなかから言い聞かせた。広い門のうちから、垣根に囲われた山がかりの庭には、松や梅の古木の植わった大きな鉢が、いくつとなく置き駢( なら )べられてあった。庭の外には、幾十( いくそ / 7株松を育ててある土地があったり、雑多の庭木を植えつけてある場所があったりした。この界隈に散らばっているそれらの地面が、近ごろ兄弟たちの財産として、それぞれ分割されたということはお島も聞いていた。
 いつか父親が、自分の隠居所にするつもりで、安く手に入れた材木を使って建てさせた屋敷も、それらの土地の一つのうちにあった。
「 ええ。ちっとばかりの地面や木なんぞ貰ったって、何になるもんですか。水島の物にだって目をくれてやしませんよ 」お島は跣足( はだし )で、井戸から如露( じょろ / 8に水を汲みこみながら言った。
「 いい気前だ。その根性骨( こんじょうぼね / 9だから人様に憎がられるのだよ 」
「 憎むのは阿母さんばかりです。私はこれまでに人に憎がられた覚えなんかありゃしませんよ 」
「 そうかい、そう思っていれば間違いはない。他人のなかに揉まれて、ちっとは直ったかと思っていれば、だんだんいけなくなるばかりだ 」
「 よけいなお世話です。自分が育てもしないくせに 」お島は如露を提( さ )げて、さっさと奥の方へ入っていった。


1.軽侮( けいぶ )/人をばかにして見下げることです。
2.半衿( はんえり )長襦袢に縫い付ける別衿で汚れから守るものですが、顔に一番近い場所になる為、コーディネートのポイントにもなります。
3.因業( いんごう )/頑固で無情なことです。
4.遊蕩( ゆうとう )/しまりなく、遊びにふけることです。
5.箸の上げ下ろし/こまやかな事にまで口やかましく言う場合に用いる語です。
6.当てこする/他の事にかこつけながら、それとなくわかるように、相手に悪口や皮肉を言うことです。
7.幾十( いくそ )/たくさんの量があることです。
8.如露( じょろ )/草花・植木等、庭の散水に用いる道具の一種。如雨露( じょうろ )とも書きます。
9.根性骨( こんじょうぼね )/根性を強めていう語です。



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 お島さんと母親は年月を経ても仲が悪いですが、負けじと言い返すところがお島さんらしいです。
  Sakuya ☯️




日本文学全集8 徳田秋声
著 者/徳田秋声
発 行/昭和42年11月12日
発行所/株式会社 集英社
©️ 1967