お経は誰が書いたのか/entry20

 第20回目は仏教に関する書物です🌿


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【 般若心経 読む・聞く・書く 】🍀
 著 者/小松 庸祐(ようゆう)氏


《 お経は誰が書いたのか 》
お釈迦さまの説法の記憶をもとに弟子が伝える
 お釈迦さまは クシーナガラ入滅( にゅうめつ /1 )されるまでの間、数多くの説法( せっぽう )を行いました。その教えを聞いて
尊い方よ。私は 世尊( せそん /2 )のもとで出家したく存じます。私は完全な戒律( かいりつ )を受けたく存じます
と多くの人々が従いました。お釈迦さまはそのつどいいます。
来たれ、修行僧よ。真理( しんり )はよく説かれた。正しく苦しみを終滅( しゅうめつ )させるため清らかな行いを行え と。
 それは相手に応じ、相手に合わせて行われる説法でした。お釈迦さま自身は哲学をすることが目的ではなく、その内容が哲学として理論的に統一されているかどうかは、末節( まっせつ )の問題として意に介されませんでした。
 お釈迦さまの入滅後、弟子たちが論理的に統一を図るべく、第一回の 結集( けつじゅう /3 )ラージャグハ( 王舎城/おうしゃじょう )七葉窟( しちようくつ/石窟 )で行われました。このとき、アーナンダ( 阿難尊者/あなんそんじゃ /4 )が、釈尊の説いた教法を記憶をたぐりながら朗読したのです。
 釈尊の教えは耳で聴き、心で暗記する、暗唱しやすい詩の形式でした。アーナンダは、如是我聞( にょぜがもん/私はあるとき、何々の地において次のように説かれるのを聞きました )と唱えました。経典のはじめにはよく如是我聞と書かれていますが、それはこのような事情によります。
 集まった僧侶は、その一節一節を確認し、伝えていきました。実際に経典として書写されるのはもう少し時間が過ぎてからです。


1.入滅/お釈迦さまの肉体が滅びること
2.世尊/この世界でもっとも尊いもののこと。お釈迦さまの尊称、釈迦牟尼世尊( しゃかむにせそん )
3.結集/釈迦の入滅後、弟子たちが集まり、釈迦の教えを確定するために行った編集会議
4.アーナンダ/釈迦の弟子の弟子のうち、記憶第一といわれた



数多くの経典が生まれる
 やがて自利( じり /5 )を主題とする集団と 他利( たり /5 )を重視する二つの流れに分かれ、前者を 原始仏教小乗仏教/しょうじょうぶっきょう /6 )、後者を 大乗仏教( だいじょうぶっきょう /7 ) とよぶようになります。
 二世紀~三世紀の出生とされる ナーガールジュナ( 龍樹/りゅうじゅ /8 )は、大乗に伝わる般若思想と空観の念を体系づけ『 中論/ちゅうろん 』を著しました。そして原始仏教をもととした『 倶舎論/ぐしゃろん 』、原始、大乗両方を含む唯識論/ゆいしきろん 』・・・と編纂( へんさん )が進みました。経典は釈尊が生きておられれば、必ずこのように説かれたであろう 仏説( ぶっせつ )をいい、これが釈尊の本懐( ほんかい )であるとの確信のもとに、幾百人の天才的な仏僧によって著されたものです。そこには人々を 仏陀の位( 仏陀の心境 )にまで高めるべき意味が説かれています。


5.自利・他利/自利とは、修行による益をすべて自分で受け取るために行うこと。それに対して他利とは人々を救済するために尽くすこと
6.小乗仏教/乗は乗物のこと。釈迦の入滅後、その教えを解釈研究する部派仏教が展開したが、別に菩薩道を説く仏教( 大乗仏教 )が発達。後者が前者をおとしめて小乗仏教とよんだ。今日では差別的であることから、原始仏教という。
7.大乗仏教/釈迦入滅後、釈迦の言動の伝承を中心とする仏教( 部派仏教 )から発展し、広く菩薩道を説く仏教をいう
8.ナーガールジュナ/龍猛ともいう。南インド出身。数多くの書物を著し、後世の仏教に多大な影響を与えた。『 八宗の祖師 』と仰がれる




 発 行/2004年4月20日
 発行所/株式会社 西東社