第36回目は寺院に関する書物の御紹介です。
一生に一度は行きたい
【 日本の古寺 】100選🍀
編集長 /山崎 准氏
編集協力/株式会社 クリエイティブ・スイート
©️ TAKARAJIMASHA 2017 Printed in Japan
世界遺産
国宝 阿修羅像
奈良時代。
阿修羅像は激しい怒りを表すのが一般的だが、興福寺の阿修羅像はどこか憂いの表情を浮かべ、見る人を惹き付ける。
かつては藤原家の氏寺
創建1300年を迎えた古刹( こさつ )
猿沢池に映る五重塔の美しい面影で知られる興福寺は、藤原摂関家ゆかりの名刹。もとは、669年に藤原鎌足( ふじはらのかまたり )の夫人・鏡大王( かがみのおおきみ )が、夫の病気平癒を祈願して京都の山科に建てた山階寺( やましなでら )だった。その後、藤原京遷都の際に飛鳥に移転、さらに710年の平城遷都で現在の地に移り、藤原不比等( ふひと )によって寺名も興福寺と改められた。
元来、藤原家の私寺として伽藍を整備しようとしていた興福寺だが、摂関家としての家柄から官によって手厚く保護され、堂塔の造営は国によって行われることとなる。やがてその勢力は、瞬く間に拡大する。平安時代には、大和国を治めるほどの力をもち、比叡山延暦寺( ひえいざんえんりゃくじ )とともに『 南都北嶺( なんとほくれい )』と称される仏教集団となった。
鎌倉時代に入っても、勢力は衰えなかったが、安土桃山時代、豊臣秀吉の検地によって寺領が大きく削減され、幕末に至るまで徐々に勢力を失っていった。さらに、明治維新に伴う神仏分離の動きのなかで、興福寺は境内地以外の寺領をすべて失うこととなった。
こうした歴史のなかで、興福寺は幾度も戦火や火災に遭う。とくに1180年の平重衡( たいらのしげひら )による南都焼討では、伽藍の多くを焼失。現存の堂塔はすべて、これ以降に建てられたものだ。最も古いのは、北円堂と三重塔。鎌倉時代のものでありながら、古式に則って( のっとって )建築されており、創建当時のようすを今に伝えている。
室町時代に再建された東金堂( ひがしこんどう )と五重塔は、ともに国宝に指定 。とくに五重塔は高さ50.1メートル、木造の古塔としては京都にある東寺の五重塔に次いで、日本で2番目 の高さを誇る。東金堂の基壇から仰ぎ見ると、雄大さが増して見える。
興福寺は、天平時代の傑作として有名な阿修羅像をはじめとして、多くの文化財を所有することでも知られる。かつて、食堂のあった場所に、その外観を復元して建てられた国宝館では、旧食堂の 本尊・千手観音菩薩像( せんじゅかんのんぼさつぞう )のほか、奈良時代の乾漆八部衆立像( かんしつはちぶしゅうりゅうぞう )や 7世紀の銅造仏頭 など、興福寺の長い歴史を彩る至宝を拝観することができる。
国宝 東金堂・五重塔
現在見ることができるのは1426年頃に再建されたもの。奈良時代の特徴を随所に見ることができる。
興福寺南円堂前の八重の藤。
ここ興福寺は藤原氏の氏寺であるため、藤が植えられている。4月下旬頃に見頃を迎える。
この古寺ならでは
夏の燈火会( とうかえ )は幽玄の美
毎年、7月中旬から9月の下旬にかけて行われる『 ライトアッププロムナード・なら 』では、興福寺の五重塔をはじめ、東大寺・春日大社・奈良公園などをライトアップ。興福寺国宝館の夜間拝観なども行われる。
一生に一度は行きたい
日本の古寺100選
発 行/2017年8月5日 第1刷
/2017年11月18日 第2刷
発行所/株式会社 宝島社