活発なお島さん/entry37

第37回目は日本文学の御紹介です。

 

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【 日本文学全集8 】徳田 秋声集

 著 者/徳田 秋声氏

 

あらくれ

 お島が養親( やしないおや )の口から、近いうちに自分に入婿 いりむこ )の来るよしをほのめかされた時に、彼女の頭脳( あたま には、まだ何らのはっきりした考えも起こってこなかった。

 十八になったお島は、そのころその界隈( かいわい )で男嫌いという評判を立てられていた。そんなことをしずとも、町屋の娘と同じに、裁縫やお琴の稽古でもしていれば、立派に年ごろの綺麗な娘で通してゆかれる養家の家柄ではあったが、手頭( てさき )などの器用に産まれついていない彼女は、じっと部屋の中に坐( すわ )っているようなことはあまり好まなかったので、稚( ちいさ )いおりからよく外へ出て田畑の土を弄( いじ )ったり、若い男たちといっしょに、田植えに出たり、稲刈に働いたりした。そうしてそんな荒仕事がどうかするとむしろ彼女に適しているようにすら思われた。養蚕( ようさん )の季節などにも彼女は家( うち )じゅうの誰よりもよく働いてみせた。そうして養父や養母の気に入られるのが、何よりの楽しみであった。界隈の若いものや、傭( やと い男などから、彼女は時々からかわれたり、猥( みだ )らな真似をされたりする機会が多かった。お島はそうした男たちといっしょに働いたり、ふざけたりして燥( はしゃ )ぐことが好きであったが、誰もまだ彼女の頬( ほお )や手に触れたという者はなかった。そういう場合には、お島はいつも荒れ馬のように暴れて、小ッぴどく男の手顔を引っかくか、さもなければ人前でそれをすっぱぬいて辱( はじ )をかかせるかして、みずから悦( よろこ )ばなければ止まなかった。

 お島は今でもそのころのことをよく覚えているが、彼女がここへ貰( もら )われてきたのは、七つの年であった。お島は昔気質( むかしかたぎ )の律儀な父親に手をひかれて、ある日の晩方、自分に深い憎しみを持っている母親の暴( あら )い怒と残酷な折檻 せっかん )から脱( のが )れるために、野原をそっちこっち彷徨( うろつ )いていた。時は秋の末であったらしく、近在の貧しい町の休み茶屋や、飲食店などには赤い柿の実が、枝ごと吊されてあったりした。父親はそれらの休み茶屋へ入って、子供の疲れた足を劬( いた )わり休めさせ、自分も茶を呑んだり、莨( たばこ )をふかしたりしていたが、無智なお島は、茶屋の女が剥( む )いてくれる柿や塩煎餅( しおせんべい )などを食べて、臆病らしい目でそこらを見まわしていた。今まで赤々していた夕陽がかげって、野面( のづら )からは寒い風が吹き、方々の木立や、木立の蔭( かげ )の人家、黄色い懸稲( かけいね )、黝(くろ)い畑などが、いちように夕濛靄( ゆうもや )に裹(つつ)まれて、一日苦使(こきつか)われて疲れた体を慵( ものう )げに、往来を通ってゆく駄馬の姿などが、もの悲しげにみえた。お島は大きな重い車をつけられて、柔順に引っ張られてゆく動物のしょぼしょぼした目などを見ると、何となし涙ぐまれるようであった。気の荒い母親からのがれて、娘の遣場( やりば )に困っている自分の父親も可哀( かわい )そうであった。

 お島はその時、ひろびろした水のほとりへ出てきたように覚えている。それは尾久おぐの渡しあたりでもあったろうか、のんどりした暗碧( あんぺき )なその水の面( おも )にはまだ真珠色の空の光がほのかに差していて、静かに漕いでゆく淋しい舟の影が一つ二つみえた。岸には波がだぶだぶと浸って、怪獣のような暗い木の影が、そこに揺( ゆら )めいていた。お島の幼い心も、この静かな景色を眺めているうちに、頭のうえから爪先まで、一種の畏怖と安易とにうたれて、黙ってじっと父親の痩せた手に縋( すが )っているのであった。

 

 

次回へ続きます。

 

 

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 お島さんは活発な方のようですね。私は活発なほうだと見られがちですが、私の場合は周囲の人間の勝手な思い込みであって、私を静と動で現すなら、私は静の方です。しかし、お島さんも周囲の人間や、幼い時の経験でそうなったのでしょうか? それとも性格でしょうか? でも、活発な女性をみていると、頑張って動こうという気持ちになります。

  Sakuya☯️

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日本文学全集8 徳田声秋集

 発 行/昭和四十二年十一月 七日 印刷

    /昭和四十二年十一月十二日 発行

 ©️ 1967

 発行所/株式会社 集英社